地域で力を合わせて行うお葬式。田舎ならではのお葬式とは?

葬儀場の祭壇 暮らし

結婚して嫁いだ北海道の田舎で、先日夫の祖母が亡くなり、お寺でお通夜・お葬式を行いました。そこで、セレモニーホールでやるお葬式と違い、地域に住むみんなで協力して行うお寺でのお葬式を経験しました。

お寺のお葬式だと「こんな風に成り立ってるのか〜」と知ったことやお葬式の費用のこと、弔辞を巡っての一悶着…などについて紹介していきたいと思います。

祖母の旅立ち

菊の花と骨壷

嫁いだ田舎で、夫の祖母が亡くなりました。家庭の事情により、夫たちきょうだいは祖父母に育てられたようなものだったそうです。

そんな祖母は高齢になって認知症になり、家族のことも分からなくなってしまい、老人ホームで生活していました。その後、食事が取れなくなり、病院へ入院。点滴による栄養で命を繋いでいる状態でした。

まだコロナ禍でない頃でも、会いに行っても目が開かない状態で、コロナになってからは面会さえできなくなりました。

そんな中で数年が経ち、ある夜、義父の元へ病院から電話があり、「容体が急変したから来て下さい」と言われ駆けつけましたが、着いた頃にはもう息を引き取っていました。

長い入院生活の末、自分で食べることもなく、生きる活力も心身ともに失っていたのではないかなと思います。

そんな中、亡くなったことにわたしは「ようやく楽になれたんじゃないかな」と思っています。祖父はすでに他界しており、祖父が見かねて迎えに来たのかもしれません。

仲の良かった二人でしたが、祖母が認知症になってからは祖父がなじられることが多く、辛く当たっていたようでした。亡くなったことで本来の祖母に戻り、祖父と一緒に穏やかにゆっくり休んでほしいと思います。

お寺で行うお葬式

読経を唱えるお坊さん

近年、お通夜やお葬式は大体セレモニーホールなどで行うことが多いと思います。わたしもそうしたお葬式にしか参列したことがありませんでした。

今、住んでいる地域は田舎でお葬式はお寺で行うことが多いようです。お寺でお葬式を行うということは、セレモニーホールのような式場スタッフはいません。

住んでいる地域の人が協力して裏方に回り、手伝いをして進行します。弔問客の受付、香典の受け取り、領収書の発行、親族の食事の準備に配膳などです。

今回、コロナ禍で弔問に来てくださった方には、お焼香のみしてもらい、そのまま帰っていただくようにしました。

遺族はお焼香の前で来て下さった方にお礼を言い、見送ります。この間に、遺族は順番に食事を取ります。今では、注文したお弁当を使ったりしていますが、昔は献立から考えて地域の人が作っていたそうです。

今回は、お弁当の他にお味噌汁を作ってくださり、翌日の朝ごはんにはお米を炊き、味噌汁や目玉焼き、サラダなどを準備してくださいました。

また故人とのお別れが終わり、火葬場へ行くのを見送った後もその場に残り、また火葬を終えた遺族を迎えてくれます。そうして最後に全ての役割を終えて帰って行きます。

最後に遺族が地域の方にお礼を言って見送り、片付けをし、これでようやく全ての仕事が終わります。こうした裏方としての役割をたくさんの人が担ってくれ、お寺でのお葬式が成り立っているのだということを知りました。

こうした地域の繋がりは、時に大変なこともありますが、いざという時には有り難いものだと感じました。

費用はどう違う?

天秤にかけられた円マークとクエスチョンマーク

住職さんにお経を唱えてもらうことは変わりませんが、お葬式をセレモニーホールで行うのとお寺で行うのとではかかる費用が異なります。

セレモニーホールなどでは、専属のスタッフが全ての準備や進行などしてくれる一方、お寺で行う場合は地域の方が裏方業を担ってくれます。

費用に関しては、葬儀の規模やグレード、参列者の数などによって変わりますが、以前祖父のお葬式をやった時と比べると、セレモニーホールでやる場合は300万円ほどかかり、香典だけでは20〜30万円ほど足りない状況でした。

お寺で行った場合は、香典で全ての費用がまかなえ、香典のお金が60万円ほど余るくらいでした。お葬式は故人との最後のお別れで、多くの人にとって大切なものだと思います。

しかし、それにはそれ相応の費用がかかり、決して安くはありませんよね。その費用を故人が残していたり、十分に資金がある場合は何も気にしなくていいと思います。

お葬式にかかる費用の相場は100〜200万円ほどと言われていますが、それでも数百万円は大金です。

経済的にそれほど余裕がない場合は、田舎で地域の方々の協力が得られるならばお寺でみんなに協力してもらってやるのも一つだなと思いました。

今回、どれだけ地域の人が裏側で手伝ってくれているのかを目の当たりにしたので、これはまた自分が手伝う側になった際には恩返しの気持ちで手伝わなければいけないなと思いました。

これが田舎ならではの「お互いさま」の精神なのだと思います。他にも農家をやっていると、機械の故障や何か困った時には周りの農家さんが何人も駆けつけてくれ、助けてくれます。

田舎の「付き合い」は億劫なこともある反面、ここぞという時の助け合いができるという面ではとても心強いものです。このことに感謝して、その分自分たちも地域に貢献しなければいけないんだなと感じました。

喪主と施主

喪主と書かれた名札と数珠

お葬式を行う際には喪主という存在がいます。これは聞き馴染みがあると思います。では、施主という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

喪主と施主とは何が違って、施主とは何をする人なのでしょうか?

喪主とは?

遺族の代表者であり、葬儀・葬式の主催者。故人に変わり、弔問を受けるのが主な役割。

では、一方で施主とはどんな人のことを言うのでしょうか?

施主とは?

葬儀の費用を支払うのが施主の役割。喪主が施主を兼任することが多いが、別の人が担う場合もある。

このように喪主は葬儀を主催する責任者、施主は葬儀にかかる費用を負担するという役割だということが分かりました。

今回、祖母の葬儀では祖母の息子である義父が喪主でしたが、施主は義父の息子である夫になっていました。

費用の負担などはしていないので、なぜ今回夫が施主となっていたのかはよく分かりませんが、「施主ってなんだ?」ということを調べるきっかけになりました^^;

弔辞って誰が読む?

白の背景に白の花束

葬儀の中で故人へ向けて贈るお別れの言葉として、弔辞があります。この弔辞は誰が読むものなのでしょうか?

一般的に弔辞とは、遺族ではなく故人と親しかった友人や職場の直属の上司や同僚などに頼みます。しかし、年配の人が亡くなった場合は孫が弔辞を読むケースもあるようです。

前回、母方の祖父が亡くなった際に「長男だから」という理由できょうだいたちの中から夫が指名されました。

そして、今回父方の祖母が亡くなった際、また夫が「長男だから」という理由できょうだいたちから指名されたのでした。

「前回もやったよね?」というと、夫が駆けつけられなかった父方の祖父の葬儀の時は、他のきょうだいがやったとのこと。

それにしても今回はみんないるのだから、みんなで話し合って決めればいいものですが、何やらみんな夫に頼もうとします。

「じゃあ、やりたい人がやろう」ということになりましたが、今度はしーん…。「誰もやりたくないんかい!」と突っ込みそうになりました(笑)

親族の孫たちも来ていたので、みんなで話し合おうとすると「そういう議論をすること自体がおかしい」と言われる始末。「長男だから」「本家だから」それが何だというのでしょうか?

昔こそ、そういった慣習は根強くあったのかもしれませんが、「長男だから」とかそういう理由でなく、孫が弔辞を読むのであればみんなが納得できるようにすべきではないかなぁと思います。

結局は、そういうことを理由にしてみんなやりたくないだけなんじゃないのかなとさえ思いました^^; または「本家や長男がするもの」ということを当然と思い、疑いもしていないかのどちらかでしょうか。

どちらにしても、誰かに押し付ける方ではなく、みんなが納得できる形で故人を気持ちよく見送れるようにすることが、遺族としても故人に対しても大切なことだと思います。

夫の想い

数珠を持って手を合わせている男性

そうして、結局夫が今回も弔辞を読むことになり、「何でこんな風になるんだ」と夫は憤慨していましたが、祖母とのお別れなので気持ちを切り替え、挑むことにしました。

夫を幼い頃から育ててくれた祖母だったので、祖母との思い出を思い返して、夫なりに伝えたい思いをまとめていきました。

それをわたしが紙に清書して、当日を迎えました。イライラしたり、もやもやした気持ちは手放して、祖母への感謝の気持ちを素直に伝えることにしたのでした。

いざ、弔辞を読むタイミングになり、夫が祭壇の前に立ち読もうとした時…なかなか弔辞が始まりません。

その時に、これまでのいろんなことが思い出され、気持ちが溢れて言葉に詰まっていることに気付きました。その時点でグッときてしまったわたし。もう涙目です(笑)

「ばあちゃんへ…」出だしから、涙が止まらず嗚咽を漏らしながら思いを伝えていく夫。育ててくれた祖母に対する感謝の気持ちが溢れて、聞いているこちらまで涙が出てしまうような素敵な弔辞でした。

清書していた内容通りでなく、祖母の遺影を前にして、その時に込み上げてきた思い、思い出した思い出などを織り交ぜながら話していました。

孫たちの中で一悶着あった弔辞問題でしたが、イヤイヤやるのではなく、「やるからには」と気持ちを切り替えて前向きに挑んだことで、むしろ夫にとってもプラスになったようでした。

きょうだいたちからも、「すごくよかった」「〇〇(夫)に頼んでよかった」との言葉がありました。夫もそれに対して、「こちらこそ、こういう機会をいただいてありがとう」と話していました。

ネガティブに感じる事柄でも、その気持ちのままではなく、前向きに取り組むことで自分にとってプラスになったり、成長できることもあるのですね。

長い間、苦しかったであろう祖母が旅立ち、無に帰ったのかもしれませんが、苦しみからは解放されたのだと思います。

わたしは、元気な頃の祖母に会うことはできませんでしたが、夫を愛情いっぱい育ててくれた祖母に「これまでありがとう」と感謝の気持ちと、「長い間お疲れさまでした。ゆっくり休んでね」と伝えたいと思います。

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